昭和56年4月22日 - 朝の御理解
【入力者: 末永 満】
御理解第64節
お道の信心はギリギリ和賀心を目指させてもらう、いよいよそれを確固たるものにしていくということ以外にはないように思います。いわゆる、天地書附です。ですからそのためのお互いが日々の精進であらなればなりません。
合楽理念とはまぁ、段々世の中の人がそれを問うようになりました。まぁ、それを一言でもし応えとするなら、一切が神愛と分かりそれを実験実証によって確かにものにしていくということだ合楽理念とは。一切を神愛と分からせてもらうね。お話を聞いてはぁ、そうかなと分かる。だから分かっただけではなくてそれをいよいよ実験実証させてもろうて成る程自分の中には天地の親神様のいわゆる、氏子助けたしの一念。神愛、いわゆる神愛あるのみだと分かって、悟らしてもらう。和賀心とはその分かった、悟らしてもらった心を和賀心というのだということだと。ね。
勿論和賀心とは和らぎ喜ぶ心とありますけれども、その和らぐ心も和らぐ喜ぶ心もね、ところが心が和らいでおりゃさえすればよいということではない。ただ心に喜びを感じておるというだけではない。いつそれが壊れるやら分からない。その壊れるようなものではいうなら和賀心ではない。これはもうギリギリ決着そこは私共はまぁ、目指すというわけなんですけれども。段々心が信心させてもろうて和らいでくる安らかになってくる。そして信心を頂いておる者の喜びが少しづつこう分かっていく。まぁ、それが即ち和賀心ですけれども、ギリギリの和賀心というのは今、申しますように一切が神愛と分かり、どのような場合であってもそれを神愛として合掌して受ける。大切にしていくということ。ね。 そこにはいわば、不安もなからなければ心配もないというかね。いわゆる、一切が神愛と分かるのですからおかげと頂けれるという心。一切をおかげと頂けれるその心がもうギリギリ決着のは和賀心なんです。だからそれを例えば、できるできないを別にしていよいよ極めていくことなんです。ね。
先日ある一つのお届けをさせて頂いておったらあのこま、子供が(?)(?)(?)(?)まいてある。ところがどうもその(?)(?)まき具合がこう固くまいてあるようであるけども、(?)(?)芯の(?)。その芯を(?)ようと芯がささってないわけ、打ち込んでないわけ。だからそういうのを例えば勢いよくバーとこうなげるとこう(?)と同時に(?)(?)けども。これがなげた途端に芯がポロっと取れるといったような感じなんです。形の上においてはこうまいて(?)。問題はその芯が打ち込んではなからなければ。その芯を打ち込むということは(?)もう金光教の信心はどのような場合であっても和賀心。この問題この難儀(?)から和らぎ喜ぶ心。和賀心をここから求めていくんだという姿勢ね。その姿勢がしっかりできておることが打ち込むことなるのであろう。それを勢いよくなげた時にあの(?)(?)すっとこう回るような順調なすむうずなおかげを頂くということになるであろう。
もうこれはもう日々がだからそれを感じる。ほんとにまぁ、それを場合には素晴らしいタイミングというふうにも申します。私共は二十から菊栄会方達とこれはもう毎年春秋大祭の恒例になっておりますが。昨日四時頃でしたでしょうか帰りましたのは。(?)(?)いわばさせて頂いたわけですけれども、もう行きがけから帰りまでのそのすむうずさというかね。波に乗ってのその一日。これはまぁ、昨日一昨日昨日だけのことじゃありません、これは私がそれを感じますわけですけれども。成る程その一緒にこうして信心実習させて頂いておって成る程神様の働きの間違いことだなというものを感じる生活なんですね。だからそういう信心実習に行った時だけが実習ではなくて日々がいうなら実習であり、日々がそういうすむうずなお働きの中におかげを頂いていけれる。そこに信心を頂いておる者のいよいよ有り難さ幸せをまぁ、感じることになる。ね。
ここには皆さんが信心の稽古に来ると同時にほんとに分からなかった今まではどこ行っても(かたびんの願い捨て)。ここへ来るとそれをお尋ねして帰ることができる。今日の御理解にもこの方は参って尋ねるところがなかった。いうなら信心して徳を受けてみしのぎをするようになれ。ということはもう一事が万事にすむうずな天地の働きの中にそのリズムに乗りに乗って生活するようになれということにも教えて頂けれると思うんです。ね。いわゆるおかげの中にある。ただもう一切をおかげと言いながらそのおかげと実感でき、私共も頂けれる実感。神様のお働きは間違いはないという働きなんですね。
そういう働きを受けさせて頂くことをいわゆる、お道の信心の芯というのが和賀心にあるというのですからその、こういう時にはどういう信心させて頂いたらならば和賀心、和らぎ喜ぶ心で受けられるでしょうかというような手立てが合楽では説かれるわけです。(?)それをまとめて合楽理念とこういうわけです。だから合楽理念とはどういうことなのかと。何か金光教から食み出したような別なことを教えておるように言うたり思うたりする人がありますけれども、そうじゃない。結局、一切が神愛と分からせてもらう、そしてその分かっただけではなくて成る程先生が言われる通りに一切が神愛。難儀と思うておった、困っておったことが一切おかげを頂く力を頂くことのための働きであったと、これが実感するということね。そつがない。生きる上にそつがない。そういういうなら働きを受けながら日々でありたい。それがぎごちないところから段々すむうずなっていくことに従って、いよいよ間違いのない和賀心ということになってくる。
今度あちらへ参りましてあの(?)ホテルというもう大変大きなホテルに泊まらせて頂いたんですけれども。もう(?)(?)歩いていくのがもうそうな歩かんならんです。もうあれは(?)(?)どーこも行かなかった。中に博物館までありますからね。もうそれで(?)(?)という劇団が来ておりましてね、何かこうお芝居ふうのまぁ、お芝居ですけども、が(?)来ておりました。丁度、(?)頂き終わって住んだ時が丁度開幕の時間でしたから私はもうこちらへ目がこの頃薄いからもう一番あの前のかぶりつきのところでこう見せてもらうんです。
そういう意味で私は気が付かなかったけども政昭先生が言うたようにもう今日お芝居が始めからお役者達が「神様お願いします、神様お願いします」というセリフが沢山出てきたことですと言うて、その(?)(?)と思うてね。まぁ、こうリズムに乗って歌のようにして言うておるわけです。一番最後に(?)(?)あの皆が出てまいりましてね。そうですね沢山な見物があっております中に四、五分ぐらいこう(たおるをまきましたんですす)。そしたら皆がはー、とこうあの(?)一番(?)でしょうねあれが、まいておりましたが。私の前来たらとこう頭を下げ(?)しますからほっと手を出したら私にちょっとそのタオルをなげてくれた。まぁ、そういうなんでもないことのようですけれども、ほんとに神様の働きの中にあることを感じるのと言うて話し合ったことでございます。
もう一事が万事その通りなんですよね。そういうまぁ、おかげを日々の中にこう頂く。和賀心が確かなものになってくる。金光様のご信心はいうなら、話を聞くというてもどういう話をみしのぎができるような信心とはどういうような信心かと。いうなら天地の親神様のお働きそのものを全てを神愛と頂き、分からせてもらいそれを実験する手立てが合楽理念だと思うんです。だからそれを実験して、(?)先生がああ言うたからそれを実験したみたけれどもよい応えが出なかったと。自分の思うような応えは出なかったとね。(?)かえって反対になったというなこともありましょうけれども、それを繰り返し実験していくうちに、はー成る程という合点のいく応えが出てくる。そういう稽古を積んでいく。まず合楽理念が分からなきゃいけない。それを実験して実証していかなきゃならない。そこから間違いない、一切神愛と分かる。その一切神愛と分かるとその心そのものが今日は和賀心だということを聞いて頂いた。どうぞ。